目次−イブラプツァの少年に父を見た*2000年1月頃、任地での随感です。あのころ、こんなこと考えていたんだな、っと、今では不思議な気持ちです。任期もあとほんの少しになった・・・。 やっと任地の人々と気心が通じ合うようになったと言うこのごろなのに・・・・ 月日のたつのは早いものだ。 約一年前、当病院の救急車が事故で谷底に落ち、同乗していた10歳の少年が頭蓋骨骨折で意識不明になり、 当病院で手当てしたが、その後インドの病院に送られ手術して一命は取りとめた。 彼は病院スタッフの子供でたまたま同乗していた救急車(当地ではタクシー、 バス代わりにしょっちゅう使われる。)にて事故に遭った。 ・・・私の父は九州の片田舎の生まれ育ちで、子供の頃は腕白坊主でよく無茶なことをしたそうである。 当時の傷が背中に残っていて「これは戦時中に山から転げ落ちて重症をおって病院に担ぎ込まれたら、 周りは戦争・爆撃のけが人が一杯で、そのなかで荒っぽい手術をしたんだ」などと話していた。 まぁ、少年時代の勲章なのだろう。 ある時、たしか母方の祖母の葬式のときだったと思うが、少年時代、父はある友人と一緒に 家の前の鉄道線路をひたすら町のほうに歩いていて(度胸試しか何か、おそらく)やってきた汽車に事故に遭った。 実際は近づいてくる列車の線路の振動で汽車があたる前に、既に風圧で外側に吹っ飛ばされていて、 そのショックで気を失っていただけであったそうだが・・・。 しかし乗務員は吃驚してすぐに待ちの病院に連れて行って結局病院で気が付いたという話である。 当時本人も事故のショックで自分は一度死んだんだ、と思っったそうで、それ以来”一度死んだ人生” ということで度胸がついて、今でも、強心臓、強気の人生を送っている。 彼の今日の成功はそのためなのだろう。(元某企業「ク*タ」の支社長でした)。 男の子は母親譲り、と言われるが対照的に母は気の弱い人だ。 (任国視察旅行のたびにブータンへこないか?と呼んだが、怖い、と言ってこなかった) 人はよく「あいつは小心者や、アホやね」などと言うが、私もそうなのだろう、 気弱な小心者である。 ゆえに父に対してある種の劣等感を持っていた感がある。 何とかして父に勝ちたい、乗り越えたい、と長い続けてきたことだろう。 協力隊参加もその心の現れだったかもしれない。 話を元に戻そう。事故に遭ったそのイブラプツァの少年は、その後も私の見る限りでは後遺症も無く 毎日元気に走り回っている。 頭頂部のちょっと後ろあたりを触ると、皮下に骨が無く、脳の表面の拍動が感じられる。 事故当日の阿鼻叫喚の光景がまざまざと思い浮かぶ・・・・私の父は昔こんな少年だったのだろうと思う。 父の故郷の熊本県水俣市の山奥はここイブラプツァの景色に良く似ている。 四方が山々に囲まれ、さまざまな生き物が息づき、命の故郷のようだ。 当任地の子供たちもみな腕白で自然の中を走り回っている。強い心は自然の中でこそ育まれるのだろうか。 肉を食べるにしても、皆でブタを飼い、毎日餌やりして育て、屠殺し(一人が縄で首を締め、もう一人がハンマーで頭をぶち割る、とても残酷・・・(~_~;) 解体して皆で肉を分ける。子供たちもブタを打ち殺すのを嬉々として見ている。(日本の子供たちが見たら気を失うかも(^^ゞ) 毎日、食べるのに精一杯の彼らには、何しろ貴重な肉なのだ。 自然の中に育った人は心が強いのだ!!周りのブータン人を見ても、彼らは我慢強い。 いろんな病気にかかるが耐え抜く。慢性栄養失調なのになかなか死なない。。。。なんて強い精神力なのだろう! ブータンに来た頃は、なんてのんびりしていて働かない、グータラなやつらだ、 だから途上国なんだ、と思っていたが、二年近く住んでみて、実はそうではない。 よーく、一人一人見るとその精神力の強さに驚く。 国で比較するのでなく個人として見るとブータン人のほうが強い。その精神力において。 ただ教養とかモノとか金とか、人間の外側のぶぶんが不足しているだけだ。 なぜ私の父が強いのか、その秘密がここブータンの隊員生活で分かったような気がする。 それでは、Tashi Derek!!(また会おう〜!!) |