目次−ODAでの活動−ガテマラその1
 政府開発援助での仕事 ガテマラ

協力隊から帰国後、縁あって国際協力の仕事をしました。(約1年くらい)
中米ではガテマラ、南アジアえはインドと、またブータンに行ってきました。

グァテマラ国立病院整備計画

初めてのスペイン語圏の訪問先、グァテマラ。ODAの仕事で行ったとはいえ、今までのアジア各国での体験とは全く違うhospitalityは驚きの連続でした。アジアの人たちとは感性の異なる彼等との出会いは私の人生観に多大の影響を与えたものです。

1.ガテマラシティにて

 成田空港をデルタエアのDC-10で出発、持病の十二指腸炎と戦いながら、苦しい十数時間の機内生活を経てやっと憧れのスパニッシュ・ラテンの国、ガテマラにたどり着きました。着いたのは現地では夜の10時ごろで、空港には余り人影も無く、とても心細かったです。空港タクシーにはボラれそうになりながらもなんとか目的のスィートレフォルマホテルに到着。部屋にチェックインしてベッドにバタンキュウであった。翌日、長時間のフライトのために強度のjet lug(時差ぼけ)に襲われる。現地商社の接待に呼ばれるが、かなり苦しい状態であった。

小児病院の受付嬢
最初の仕事、国立小児病院の
受付嬢であるマルレアーナ・
オルレアーンさん21歳です。
しかし・・・・・大きい!(?) 
車椅子の少年
男の子が乗っている
この車椅子もわれわれの
ODA供与機材の一つです。
日本の税金がこんな風に
役に立って彼等に
感謝されています。
小児科医と
ガテマラの日本のODA額は中米一だそうで、そのせいもあるのか隣国からも医療関係者が来ています。
左のDrはニカラグア出身で家族は既に米国に移住しているのですが、新卒なので研修もかねて
ガテマラの小児科医として働いています。
Pediatricianで名前が有名なモータウンのシンガーと同じ、と自慢していました。
ベイビー♪
途上国はどこもそうなのかも
しれませんが、子供が多い。
彼等の瞳はとても綺麗です。
2.中央内陸部での仕事

首都ガテマラシティでの病院へ機材の納入、研修の仕事が一段落ついた後、週末のこともあって、コーディネータの梅宮氏と彼の現地人スタッフ等とともにスペイン植民地時代の古都、アンティグアに赴きました。のんびりした(まぁラテンの国はどこでもそうですが)spanish colonialな美しい、閑静な町で500年ほど前のスペイン王朝時代の往時を偲びました。
古都アンティグア
宮殿の遺跡
ODA個人商人、梅宮さん
古都アンティグアの近くには大きな活火山があります。
数百年前に大噴火があり、王の都は溶岩のしたに埋もれてしまいました。一度復興したらしいのですが、
volcano eruptionの被害のために諦め、
現在の標高1500メートルほどの高地にある
ガテマラシテシティに遷都したそうです。
このような瓦礫も元は王侯貴族が使っていたのでしょう、
噴水の周りに晩餐会をする人々の姿が彷彿とするようです。
ここはくるまでアンティグアに行く途中に立ち寄ったドライブインサービスのコンビニエンスストアです。
ローカルの人はとても甘いものが好きで、男も甘ったるいものをよく食べます。
手前の人が梅宮さんです。(私とおんなじ年齢です)
夜の公園
レストランの演奏
昼間の公園
中央公園にはライトのしたほのかに照らされた雰囲気のいいこんな宮殿もいくつかあります。週末ともなれば恋人たちがここかしこに見かけます。 翌日はフォルクローレ演奏で有名なレストランにて夕食を取りました。 昨夜の賑わいが嘘のように、昼間はこんなに閑散としています。
 ヽ(`Д´)ノ ディスコ !
庶民の市場
ガテマラ織りもの
夜になると、昼間はどこにあんなに人がいっぱいいたんだろうかと思うような若者が集まってきます。全くスペイン語だけの世界で、英語なんかはまったくコミュニケーションの役には立ちません。楽しそうに踊る彼等ラテン系の端っこでチビチビとテキーラサンライズ等を嘗めながら横目で見ているだけでした。あー、スペイン語さへできればどんなにか楽しかったろうに! メルカド。ローカルのマーケットです。 ガテマラ織り。織り方はブータンのように壁に一端のの糸を掛け、他方を腰に掛けて経糸を編みこんでいくのと同じで、原始的な織り方です。
お店番の娘
こんなに可愛い子もお店番などしてたりします。


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