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 入隊まで の 手続き◆

 < 説明会〜入隊試験 >

 東京での説明会に参加しましたが、たまたま通りかかった 会場で、しかも途中からだった。

そのとき 「あ、臨床検査技師さんですね、医療関連は需要が多いので かならず行けますよ〜」 ゲストに説明するスタッフは 隊員OB/OGだった。
派遣実績のパンフレットを読むと、わたしの職種で 派遣されている国は南アジアアフリカが多い。

「何々・・・バングラデッシュ、ジンバブエ、、、なんか。余り聞いたことがない国だなぁ・・・」
「アフリカの見知らぬ国 に行くことになったらどうしよう・・・? う〜ん・・・」

ほとんど聞いたことがないような  国の名前がならんでいる。

本当に大丈夫なの? ・・・・・不安と疑問だらけ・・・・( ゚Д゚)ハァ?

おそらく同年代の OB・OGたち、食べ物や水、電気も満足にないところで生活したことを、何故か楽しそうに話している・・・。
彼らの話に共通するところは、日本とは違う 社会・人間関係 のなかで 新しい自分を見つけたと、顔を輝かせて 話している。

いっぽう、私といえば 当時、職場・私生活で 何かをを変えたい、でも どうしていいか わからない・・・という 状況。

説明会の話では 「協力隊って・・・・?」半信半疑 でした。

ただ、今の自分の 環境とは 全く違う、そんな場に 自分を置くことで何かが変わるかもしれない・・・・

OB/OGらの 輝くような 笑顔 を見ながら、ほんの小さな ともし火 が 心中にともるのを感じたのでした。


 数日後に JOCV事務所から 募集要項・1次試験の過去問題集 が届いた。

現在は 医療関連の要請は 看護婦以外少なくなっているが、当時は 各パラメディカルの多くの派遣要請が、各国から上がっていたようだ。

同封されていた 一次試験にある 英語の過去問題、レベル的には 中学3年生程度・・・もともと大学進学希望で それなりの高校に通っていた。
5教科の中では 英語が好きだった。 (先生は嫌いなのが多かったが)

そういいえば わたしがまだ幼稚園のころ、当時は父がよく家にいて、テープレコーダーで英会話の勉強をしているのを よく聞いていた。
もしかしたら その無意識の 潜在記憶が 私を『語学好き』 似させているのかもしれない。→「3つ児の 魂 100まで」かなぁ・・・

一次試験には 語学、専門分野基礎知識、作文があった。

一通り 募集要項を読んで、「これならなんとかなりそうだ」と言う感触を得た。思ったほど難しくないかも・・・

しかし、仕事の帰路、買い物・自炊 という忙しい?毎日なので 中々 受験準備のための時間を裂く余裕がない。
それに 慢性 胃・十二指腸炎 が悪化、体力的にも ????・・・な状態・・・。

“このままの生活 を続けていて、受験したとしても 自分の実力を十二文に発揮することは難しい・・・満足な結果は得られないと思う。
思い切って 辞めて 『人生の 休暇』のつもりで 身体を治し、英語もしっかり勉強して 万全の態勢で 受験に望む”ことにした。

何ゆえ 仕事を辞めてまで “協力隊”にかけたのか?

自己紹介 にもあるとおり、職場の人間関係で 悩み、しかも 転勤命令・・・見知らぬ場所へ〜

「同じ見知らぬところへ行って 働くことになるのなら、自分が望んで 自主的に 行く方が いい(≧∇≦)b 」 そんな思いがありました。

退職後、九州の実家に戻り、日中は 食品工場のバイト、夕方から 英語の復習、協力隊関連の本を読む、その他受験準備・・・という生活。

そして 3ヵ月後 受験・・・東京での 2次試験にも合格、派遣前・技術補完研修、合宿訓練を経て、晴れて協力隊員となりました。

 

 <協力隊って お金はもらえるの? それとも 自分で払って参加するの?>

通年的に 全国で何回か行われる 「募集説明会」に参加後、わかったこと → 参加するには 何回かの 試験 をパスする必要が あります。

一次試験 全国、各地域で開催される会場にて、ペーパーテストト
(語学・選択職種に関する基礎知識、作文など)
二次試験

一次合格者に 郵送で連絡が行きます。 東京で二次試験が行われるため、往復交通費等はJICAが負担してくれます。
(確か私の場合、九州からと遠いので、往復の正規航空運賃、電車賃等が出た、と思う)
当時の内容は 健康診断、制服の採寸(当時は緑のスーツ上下・・・郵便屋さんみたい) 最後に面接・・・
面接は 2回あり、
1回目: 協力隊に関する一般概念の確認
2回目: 専門分野ごとの面接官による 質疑応答(JICA専門家 が多かったみたい)

                                  楽しかった 合宿訓練♪   ・・・・・・・でした。(^^ゞ



 二次合格者には 速達レタックス にて、事前訓練の郵便が来ます。

わたしは 技術補完研修といって 熱帯感染症の臨床検査技術の研修のため、東京・板橋区にある 帝京大学 医学部 寄生虫学教室 にて、約2週間の研修がありました。

終了後、いったん帰省。次の3週間の 合宿訓練で 長野県に行くまでの間、ひたすら英語の勉強に明け暮れていました。

その後 合宿所 に入所。 オリエンテーションの後、それまでの交通費、宿代、補完研修の日当を清算しました。

3ヶ月間の合宿訓練期間中は 約 5万円/月 の手当てがあり、任地派遣中の 国内積立金に加算されます。(派遣中の待遇について)

 * 国内積立金: 派遣前研修中は月額50,000円、派遣期間中は月額99,700円です。

 

 <どのようにして 派遣される 国は決まるの?>

二次試験の面接時に、希望派遣国を聞かれます。

私は出来たら 中南米に行きたかったのですが、あまり注文をつけると。。。? と、思ったので「特になし」と 答えました。
その結果、ブータンに決まりました。

 ブータン・・・・社会科の授業で、名前を聞いたことがあったなぁ〜 たしか、アーチェリーでオリンピックに参加したとか・・・
その程度の 知識しかありません (^^ゞ

はじめは不安でしたが、それは 後ろ向きに、ではなく これから何が始まるんだろう、まるで ロードショーで映画を ワクワクして待っている気持ちでした。

ブータンでの 出来事は 帰国して時間がたつにしたがって その記憶は薄れていきます。 でも、日々の生活のなかで フッと、思いだすことがあります。

食事は、日本のようになんでも食べられることはなく、低栄養で、10kgも痩せたり、熱帯感染症に罹って 脱水、意識朦朧 となり 38℃以上の発熱で たおれる・・・
そんなことも ありました。

でも、今思えば、日本のように モノが豊かではない彼らと一緒にいた時の方が、彼ら一人一人との ふれあいの中に 「心豊かな なにか」 を 感じて暮らしていたことは 懐かしい思い出です。

・・・・行きたい 国があって そこでなければ イヤ、という人もいるでしょう。

でも、今までの ちっぽけな 自分を はるかに越えた「未知なる 大いなるもの」に任せる方が 自分にふさわしい 国が 手配されるのでは?
と、思います。


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