くすさんぽ−プロフィール−就職活動 | |
就職活動を振り返って | |
その後、青年海外協力隊を受験、一発で合格、南西アジアの小国、ブータンに派遣されました。 わたしが派遣されたところは、写真集にあるとおり、当時、ほとんどの隊員がいた首都 Thimphu から車で約2日もかかる、遠隔の僻地、ジャングルの中でした。 一応、臨床検査という肩書きの派遣でしたが、後発途上国、しかももっとも開発が遅れている Zhemgang 県というところ、ないないづくし、スタッフも少なく、医者、看護婦も少なかったのでわたしは彼らのヘルプ、手伝いも spontaneusuly 自発的に行いました。 いろんな怪我できた外来患者、消毒、縫合、、、 車の事故で谷底に落ちて、頭蓋骨陥没骨折の10さいの男の子を、2晩、寝ずに看病して、インドの脳外科病院に搬送、一命を取り留めたこともありました。 自分の手で瀕死のこどもを助けた・・・この感動はことばではいえません。 検査技師の身分では日本ではできないことも、ローカルスタッフと一緒になって、すすんで手伝いました。 帰国後、就職活動で病院に面接にもいきました。 しかし、2年半近くの日本から離れて途上国にて生活したことは日本の医療人から見れば単なるブランク、マイナス経験としか見られず、うとんじられました。面接の担当女性からは「ゴミくず」のようにあしらわれ、とても悲惨でした。 ”協力隊での経験は日本社会ではマイナスである” 帰国後3年近く経ち、いままでの就職活動を振り返って実感しました。 しかし、これだけは言えます。 たとえ、日本に人たちに、協力隊の経験を批判されようとも、わたしが任地のひとたちとともに経験した、よろこび・かなしみ・驚きは、人生のおおきな宝物です。 任期終了時、お別れ会で、谷底へ車の転落事故から、奇跡の生還をしたこどもの父親である病院のスタッフが、涙ながらにわたしとの別れを惜しんでくれたこと、、、、 「きみが、ここにいてくれてほんとによかった」と、 いってくれた彼の顔は、いまでも、時々、眼に浮かびます。 | |