任国外旅行 協力隊の期間中には、任国外へ行く機会がある。
目的は 任地の業務だけでは見えてこない問題点を、多角的に、広い観点から観察・対処するために近隣国の関連機関を訪問、調査することです。 が、本音を言うと 日本と全く違う厳しい生活条件の任地を離れ、リフレッシュする人が多いようです(私もそうでしたが(^^ゞ)。 ブータンは アジアの最貧国のひとつ、ヒマラヤの険しい山々に囲まれ 海はなく 小型旅客機 しか離着陸できない
小さな空港がひとつあるだけ。 任地で活動を開始して、約1年後、トヨタ ランクルなどの4駆の車で クネクネ道を走りながら
2日掛けてやっとこさ僻地の任地から首都に移動、任国外旅行に出発できました。 出発時期が雨期(モンスーン)の始まりで 豪雨のために 予定通り出発できないということもあり、行きたかったのですが、日程の関係で
インド訪問はあきらめました(・・・っていうか3週間ではインド1国でさへも十分にまわることは不可能と思う) ネパールでは Daudogandy 大学病院を訪問。 ここは25年間以上 継続的に日本のODAの援助を受けており、総額10億円以上の機材が 供与されたそうです。 しかし始めの頃の機材はすでに壊れているものもあり、また それらをメンテナンスする技術ももたない彼らには 宝の持ち腐れ状態でもある. これでは 税金の無駄ずかいにしか見えない。 日本語を話すネパール人スタッフは ハードよりも それらをつかいこな人材(ソフト)が必要だと言う。 しかしこれでは 援助がさらに別の援助を引き起こし ほんらい必要ではないお金(日本国民の税金)を
ムダに使っている、としか見えなかった。 ODAという 甘い蜜(儲けが大きい)にむらがる日本の民間企業を潤すだけで 途上国の自助努力の芽を 潰している所もあるのでは? (と感じた) 価値観の違う異文化同士の協力活動には 常識を超えた部分がある。 まさに「協力隊は答えの無い活動」おt言われるゆえんで、日本では接したことの無い 非日常的な その光景に 考えさせられることが多かった。 次はタイのバンコクに向かった。 人々の活気さは ブータン 1: ネパール 10: タイ・バンコク 100 ・・・というところか? バンコクの中心部、当時 ニューペブリ通りの 真ん中らへんいあった 日本大使館に隣接した タイJICAを表敬訪問、ドミトリー(隊員連絡所&宿泊所)の宿泊許可をもらって 1週間ほど滞在しました。 その間、 Bangkok General Hospital という 30年上以上も前日本のODAで建設された総合病院を見学しました。 バンコクには 日本人が約7万人在住(観光ビザを不法に延長して滞在している日本人は 約30万人以上もいるらしい)し、企業の駐在員、その家族等が数万人もいるので この病院のように、Japanese Relation (日本人専用スタッフ)もいます。 しかし、このような外国で 大病院にて日本人専用の スタッフ・治療室があるというのは・・・・言葉の問題もあるが Jaopanese Monney
にモノを言わせた 日本のODAの専横さを感じるのは私だけであろうか? バンコクでしか出来ないことのひとつに、日本食の食材、日本製の電化製品(TV等)のショッピングがあります。 |
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