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 弱いものがすき


小学校2年生の後半から近視で ( ━@Д@)めがね、当時はそんな小さい頃から眼鏡かけている子ども事態がめづらしかった。

体格は普通以上なのでスポーツに励むべきだが 気が弱く 草野球位はしたが、運動は得意な方ではない。首が長いから、はみでるんだよねぇ

っていうか、人と競争して何かする、と言うのが苦手だった。

小学校に入ったばかりの頃、図工の授業時間、画用紙2枚分にキリンの絵を描いた。

みんな 一枚の画用紙に収まるように描く中、私だけが2枚分の動物を描く。

こともあろうに先生から とっても褒められ、いまでもその光景は脳裏に焼きついている。

それ以来、暇があると絵を描く。

休日、友人宅に呼ばれて遊びに行ったり、友達を自宅に呼んだりして一緒に、広告紙、チラシのうら、わら半紙、とにかく描く、描く・・・

当時はやっていたアニメのキャラクター、やら設計図的に秘密基地、映画のポスターの模写・・・etc 

もう、「絵画三昧」の毎日。

学生時代は クラブ活動は美術部、漫研などの女子が多い静かな雰囲気の文科系、運動部で積極的に人と交わって活動するのは苦手・・・

今の20〜30代が学生時代より いまどきの陰湿な「いじめ」は殆ど無かった。

が、中学の後半からクラスの番町グループ(親がやくざ関係だったらしい→PTAの暴力団追放運動で引越ししてしまった)の悪童グループ?

から眼をつけられ、休み時間 いきなりメガネをとりあげられたり、おっかけられて自宅の玄関を蹴られたり、したこともあった。

小中学校の同級生であだ名が「はじめちゃん」という男子がいた。

母子家庭、兄弟は姉妹だけ、と言う環境に育ったせいか親しい同級生は女子ばかり、

休み時間は彼らとゴムとび、縄跳び、おしゃべり(顔立ちが細面で美形なので“話し”というより“おしゃべり”)・・・

いわゆる オカマ である。

彼も同性には虐められていたようだ。

彼とは何故か気があった。時々連れションもしたし・・・(^^)

ブータンという国は 九州ほどの大きさの小さな山国。インドと中国という大国にはさまれて、何時なんどき占領されてもおかしくない 弱小国家。弱いものいじめ、するな〜!

・・・そんなやわい?弱い国だからこそ、縁があったのかもしれない。

「弱いもの」とは 何故か 相性がいいのである。



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