くすさんぽ−協力隊物語−帰路変更
帰路変更


・・・名残惜しいインドを後にしてオランダ経由でギリシア・アテネへ向かった。
KLMで、まずオランダへ
機内で隣に座った マケドニア地方で農業しているという おじさんが
顔に似合わないほど人懐っこく、素朴なのが印象的だった。

ギリシャの首都アテネはさすが世界的な観光都市、欧米の団体ツアー客が多い。
パック・ツアーは日本人だけ、と思ってたがUSA,ドイツ、
フランス等からの年配者の集団旅行は多いみたいだ。

アテネの遺跡群は工事中が多かった。パルテノン神殿、アクロポリス、遺跡博物館など
大規模な修復工事が多いにも関わらず、沢山の白人たちがぞろぞろと見物していた。

団体ツアーは何も日本人だけではないし、一人旅と違って安全面などにあまり気を使わなくていいので
わたしもいつか参加しようと思う。

1泊目は中心地の高級ホテルに泊まった。ホテルに到着したのは夕方。
何か美味しいものを食べようと 見知らぬ異国を男一人でウロウロしたためか ポンぴきに捕まってしまった。
アテネ大学前で
一見、人のよさそうな満面に笑みをたたえた顔、美味しいところに連れてってやる、と言われ
案内されたのはナント 地下の薄暗い ボッタクリ・バーであった(@_@;)
歌舞伎町にあるような「怪しい暴力バー」で、その男は店主とグルになり私の有り金を巻き上げようとした。

ビール1本飲んだだけで 1万円!?!もとられた…(;´Д`)ウウッ
ほんとに怖かった。やはり見知らぬ国での一人歩きは常に気をつけなくてはならない。
ブータンから離れて気を緩めた隙を突かれたのだった。

翌朝、そこが中心地「シンタグマ広場」で、ガイドブックにあった「風林火山」という
アテネで当時唯一“寿司”が食える日本食屋があることがわかった。

寿司と言えば ブータンでは1度だけ首都で食べたきり…超・久しぶりの寿司の味は何ともいえない格別の味だ。
私が協力隊任務を終わって 帰国する途中と知った店主(当時)はご親切にもアテネの夜を案内してくれた。
町中に兵隊が・・・
日本からヨーロッパに来たわけではなく 現地情報も不十分なためホテル情報すらなかった。
(店主はガイドブックには載ってない『夜の』お店を案内してくれ、ほんとに楽しかった。
いつかアテネを再訪して御礼がしたいものである)

沢山の観光客がいる中で、街角のところどころに自動小銃を持った兵士が立っている。
ある日 風林火山で食事していたら、若いギリシャ男性が店内で激しい口げんかをしている。
当時はクロアチア紛争の最中で、ギリシャ東方のアルメニアから、多数の難民がギリシャ国内に流れ込んでいた。

社会主義国のアルメニアは貧しく、彼らは異国のギリシャで懸命に働く。
のんびりしてあまり働かないギリシャ人は必死で働く彼らを嫌い、時々ケンカになるそうだ。

まー、日本人から見てギリシャは遺跡の町、私のような観光客が落とす外貨で生活しているようなものだ。
もしギリシャ人が 日本にきて我々の働く姿を見たら、どう思うだろうか・・・

現在鋭意作成中です・・・気な〜が〜にお待ちくださいませ〜♪ しばらくお待ちください・・・

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