くすさんぽ−協力隊物語−帰路変更
帰路変更


ギリシャを後にして 次はイタリアに向かった。アリタリア航空でローマ入り、空港で乗り換へベネチア(ベニス)へ。

空港からボート(高速艇)に乗り水の都へ到着。南欧の旅は そのバラエティに富んだ風景が素晴らしい。
中世の雰囲気がそのまま残っている街並み。陽気なゴンドラ乗りが歌を口づさみながら運河を巡っている。
鳩がいっぱい、サン・マルコ広場
船着場について 歴史を感じさせる石畳の上を ゴロゴロとスーツケースを引っ張ってホテルへ向かう。

ベニスの建物は玄関のドアが複数ある。1番外側は黒っぽい大きなドアで、開けると中にまたドアがある。
出かけるときは出入り口の鍵を2種類携帯する。
ロビー、廊下の調度品はバロック・ロココ調で日本ではアンティークショップに並んでいるようなものが
街の雰囲気に溶け込んで使われている。

ベニスは地方都市だからだろうか、ホテルの人はとてもフレンドリーで気さくな感じだ。
イタリア語訛りの巻き舌で“Oh〜My friend !?!”と言われるのには変な感じだった。

次は芸術の都 フィレンツェへ向かった。
おとぎの国のような街並み
イタリアでは1番 素晴らしかった。街全体が、学生時代に世界史や美術の教科書で見た
中世の建築、彫刻、絵画、デザインでできている。。。。。
今まで 写真やTVでしか見たことが無かったモノをリアルに、目の前に、そして自分の身体で触れることができる・・・
これは言葉には表せない感動だ。

通りの石畳はヨーロッパ中世の歴史が詰まっており、ゴチック様式の オペラハウスが至る所にそびえている。
大通りには 大道芸人がおり、世界中からの観光客にパフォーマンスしている。

ローマ近辺で発掘された芸術品は、フィレンツェに運ばれる。

博物館で鑑定、修復するためである。高校時代、美術室にあったブロンズ像の原型が山のように無造作に陳列されていた。
日本で見る複製品でも もっときれいに保管するのに、ここではそのあまりにも膨大な数のためか、
本物なのに ゴミのようにほったらし状態なのである。

まじめな日本人と違って「マンジャーレ・カンターレ・ミ・アモーレ」(食うこと、歌うこと、愛すること)が
人生の価値観である彼らにとっては、観光客が見に来るものが世界的に価値あるものであろうとも、
本当はどうでもいいのかもしれない。

フィレンツェでは ローマに駐在しているという日本人の家族旅行者と知り合った。

鉄道で行くことを教えてもらい 陸路でローマを目指すことにした。
(わたしがブータンから来た、と聞いてびっくりしておられた( ゜Д゜)ソリャ ソウダロウナ)
静かなフィレンツェ駅
ホテルから駅に向かうためにバスを捜した。

こちらでは“Auto Bus”アウト・ブースと発音する。
これが中々わからなくて英語が通じず(というより発音が違う)大変だった。

フェレンツェ駅は日本の駅とは違いとても静か。発車のベルはもちろん、構内アナウンスすら無い。
公共マナーが日本と違い、騒音、うるさい事は パブリック スペースでは御法度なのである。

鉄道、列車は時間が来たら音も無く静かに発車する。
日本的な「お客様は神様です」というようなサービスなど無い!?
時間に遅れる方が悪い!?という考えのようだ。

ローマに着いた。真実の口((((*´ー`) あ〜ん♪

さすが歴史上の首都、西欧文明の原点、「すべての道はローマに続く」と言われるように
重厚な歴史を感じる。っというより 2千年前に出来上がった都市は それ以上発展できないようで
古いものばかりが残っている。

泊まったホテルは中心部にあるためか、東京によくあるペンシルビルのように細長い建物だった。
従業員は白人よりも アフリカとの混血のような人が愛想が良い。
白人スタッフはちょっと傲慢な 威圧的に感じることが多かった。

ローマでは映画「ローマの休日」に出てくる広場、ショッピングストリート、トレビの泉、バチカン市国…etc
歩ける限りいろいろなところを見学した。
周りは全部、絵・え・ エェェ(´д`)ェェエ
このバチカン市国はローマ法王がいる「サンピエトロ寺院」をじはじめ、
システィーナ礼拝堂、その他 見学コースだけでも廊下、天井、壁、あらゆる所に絵が描かれている。
すべてが芸術品、バチカンだけでも 全てを見るには1ヶ月以上かかるそうだ。
マニアな人には たまらない場所だろう。

現在鋭意作成中です・・・気な〜が〜にお待ちくださいませ〜♪しばらくお待ちください・・・
inserted by FC2 system