目次−協力隊物語−帰国後のひとり言 |
首都の人たちは仕事も忙しく、日本人同士でトレッキングしたり、飛行機貸切でヒマラヤ遊覧飛行等、レジャーもいろいろあったらしい・・・。 数年間の任務を」を全うして帰国した時、文化はつる世界の果てにいた私にとって久しぶりの日本は、時間の速さ、モノの多さ、人間の多さ、、、、まるで日本が私にとって外国のようなショックがありました。(カウンター・カルチャーショックと言います) 「こころ」の大きな変化と、現実との大きなギャップ・・・そのため病気、入院。 今は第二の人生を必死で模索してるところです。。。
帰国したとき、生まれて始めての海外生活、しかも2年間という長い時間は、これまで当たり前と思っていた 日本人としての時間・空間感覚を ぶっとばす ほどのものでした。 とても一言では語りきれない。。。多くの隊員経験者が感じているとは思うけど、せっかく人生の大切な時間、 しかも20台〜30台の若造が、アメリカやイギリスならまだしも、ほとんど聞いた事のない 発展途上国といわれる国々に赴き、なれない環境にとまどいながら、精一杯、自分を最大限生かして ローカルの人たちのために活動する・・・。 ほんと、泣きたいこともあった、また、それ以上に楽しいことも・・・。 いま、日本のあわただしい時間のなかで、その輝いていた自分を、忘却の彼方に忘れ去ろうとしています。 だって、現実の日本では、その余りのギャップに頭がおかしくなりそうだから・・・ そのために、「慢性すい炎」という病気になってしまったのかもしれません。 今現在も、試行錯誤の繰り返し、日本という、ブータンのような途上国とは正反対の複雑な社会を あてどもなくさまよっている、というのが正直なところです。 ただ、日本では経験できなかった、人と人との純粋な協力活動の中に「泣くほど人が喜ぶことが本当の仕事」と、 日本から遠く離れたジャングルのなかでいつも感じていました。 ブータンでは(ジャングルの病院という僻地が任地だったこともあるが)実現できなかった、 いろんなやりたかったことを、できるだけ今いる場所で実践していきたいな、と感じています。
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